【ス】自分の誕生日に親子って何かっていう途方も無い事を少し考えてみる

子育て
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先日、4月23日に36歳になりました。略さずアラウンドフォーティのスイカ(@suika_no_me)です。プレゼントにApple Watchか仕事下さい

冗談(じゃない)はさておき、誕生日を迎えてふと思った事があったのでそれを綴ってみようかと思います。

ボクには子供が二人おりまして。

上の子は小学生。下の子は保育園児なんです。

上の子は落ち着いているものの、最近はなかなか言う事をなかなか聞いてくれません。まだ反抗期と言う訳では無いのですが、「ハイ。ハイ。」と返事はするけども、なかなか行動に起こしません。これを動かすには、逃げ道を作られないように理詰めで押すか、場合によっては叱らなければならない事もあり、これが結構疲れます

下の子は下の子で、何かあればすぐ感情を露にして泣く!泣く!!泣く!!!できれば言って聞かせたいのだけれども、感情的になっている分、冷静になるまで時間を要します。そして、あまりに手に負えない場合は最終手段、こちらも感情を出して向き合う状態になってしまうんで、こちらもこちらで疲れます

最近毎日がこんな感じです。

もちろん。二人には夫婦どちらとも同じように接するわけではありません。どちらかが厳しく注意すると、もう一方は冷静に、優しくフォローする。と言った感じでバランスを取りつつやってます。

しかし、気がつけば、ボクが取った行動はこれで良かったのか、間違っているんじゃないのか、そういった事を常に考えてしまっているボクがいます。

そんなある時、何気なくボクの母(子供達の祖母)が孫たちと接しているのを見ていて、ふとこんな事を思ったのです。

親子2

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親子って川原にある石ころなんじゃ無かろうか?

「孫は目に入れても痛くない」

昔からある孫をひどく可愛がることを指したことわざですね。

今の時代、昔と違って「サザエさん一家」のように祖父や祖母と孫が一緒に生活している家庭がどの位あるのかはわかりませんが、一緒に暮らしていなくて、盆や正月にしか会えない。という事であれば、まさにことわざのような可愛がり様になるとおもいますが、毎日同じ屋根の下で生活を共にしている場合は結構大変で、ボクらと同じようにたまに感情的に怒ったりする事もあるんじゃないかと思ってしまいます。

現に、祖父や祖母にはボクらの代わりに面倒を見てもらう事が多いのですが、例えどんなに言う事を聞かなくても、度を越えたイタズラをしても、不思議な事に怒ったりすること無く面倒を見てくれています。それはもう、怒ってもいいのになぜ怒らないんだろう?と思う位にです。相当我慢しているんじゃ無いかとも思いましたが、どうやらそうでも無さそう。

そんな事もあり、ボクが子供の頃と比べると「随分丸くなったなぁ。」と心から思います。それに比べて親としてのボクは「まだまだ」だなぁって痛い位に思います。

それにしても人が「丸くなる」事の意味ってあまり意識したり、考えたりする事は無かったけど、単純に考えて「心が広くなる」、「優しくなる」って事なんだと思うのですが、時が経つと人は誰だってそうなるかと言うとそうでは無いよなぁ。と思うのです。

じゃあなんで丸くなるんだ?どうすれば丸くなれるんだ?って事を考えてみてもそんな方法だとか手順なんて有るようで無いんですよね。そもそも。

だから、丸くなるって表現を使っている事に何か隠されているのでは?って事に行き着きました。そしてまたしばらく考えてみると、小学生の頃の授業の事を微かに思い出したんです。

この記事を読んで下さっているアナタもきっと体験していると思うのですが、学校の外に出て自然を観察する授業で川に行くと、何故、川の中の石は丸い石がたくさんあって、陸にある石は角があるのか?という課題について考えた事はありませんでしたか?

元々は角のある石が、川に流される事により、他の石とぶつかったり、こすれ合ったりして少しずつ角が取れて最終的には丸くなっていくんだっていう。そんな事を教わりました。よね?

川原の石

もしかしてそれを人の(心の)成長に例えた事なんじゃないかって思いました。ネットでも調べてみても、コレに関しては似たような事が書かれたサイトやブログはあるものの、ハッキリとした答えは出てきませんでした。まぁ。道徳的な事柄ですからね。

でも、ボクはその答えに行き着いてスッキリしたというか、妙に納得できた気がしました

親は親で子供を健やかにまっすぐに育てるために本気で、本音で子にぶつかって(関わって)いく。ぶつかって(関わって)いくうちに人として丸くなっていく(子からも学び、人として成長していく)

子は子で、意識はせずとも自分が成長するために親とぶつかり(関わり)ながら徐々に丸くなり始めていく(親への尊敬や反面教師という事もあるでしょう。)

もちろん、親子間だけでなく生きている上で他人とのぶつかり合い(関わりあい)でも人として丸くなっていくものである事は言うまでも無いと思います。

方法なんかない。本気で本音でぶつかり合えばいい。正解・不正解なんてない。きっと良かったって思えるステキな答えが待っている。

親子5

いろいろ思い出して見ると、小さい頃には本気で叱られた事。心配をかけた事。どうしても納得できなくて言い争った事。口もききたく無くて何日も顔を合わせなかったこ事。自分の節目節目には必ず祝福してくれた事。涙を流して喜んでくれた事。ボクが生まれてから今日の今この瞬間まで、いろんな苦労をしながらもこんなボクを見捨てずにいつも本気でぶつかって(関わって)育ててきてくれたし、ボクも今と違って親には本気でぶつかって(関わって)いってたし、いつも本音を言っていた気がします。

だからこそ、丸くなったと思えるんだ。今は素直にそう思ってます。いや、そうとしか思えません。そしてそれにはボクが本気で本音でぶつかって(関わって)いたからだったって事も、自分の子供達と向き合ってそう実感しています。

だから、子供達にはまだまだ本気でぶつかって(関わって)いない自分がいる事に少し焦りを感じるけど、でも、今は不思議と大丈夫と思えています。これからもっと本気で本音でぶつかっていけばいいんだ。ダメな事なんて一つも無い。だって、人は一人一人違うんだし。答えなんて自分が動かないと出ないんだから。それも正解とか不正解とかそんなくだらない事なんかじゃなく、きっとこの家族で人生を過ごす事ができて本当に良かった!っていつか丸くなった自分がそう思える、そんなステキな答えが待っていると信じていればいいんだ。と

スイカのまとメ

まとメとは違うのですが…。

ボクがこの「スイカのメ」いうブログを始めてから、こんなに自分の考えや、気持ちや、心に真剣に向き合ったことはありませんでした。

正直今書いている文章もまとまりが無いままだと思います。(読みにくくてすみません。)でも、自分の思った事等をアウトプットする事ができるというのはとても勇気やエネルギーを使うものだけれども素晴らしい事なんだなぁと思っています。ブログを始めて本当に良かったと思った瞬間でした。

へば、まんつ〜!

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